20歳の頃、母方の祖母の死を悲しみ、泣きじゃくる私に母が、

「昔、ああちゃん(母)の家は貧乏でね、父親が早く亡くなり、ばあちゃんが私たち7人姉弟をひとりで育ててくれたんだよ。私も学校行かないで働いた。昔は、学校へ行きたくても行けない人がたくさんいたんだ。ばあちゃんが死んで悲しいけど、私は、ばあちゃんが一番大変な時に『助けた』っていう自信があるから、死んでも悔いはないよ。ばあちゃん、楽になったろうや…」と、話してくれたことを時々思い出します。

 

私の母は、酒もタバコも豪快で、竹を割ったようにさっぱりとした性格で、人付き合いもよく、強く、そして、厳しい女性でした。

 

時巡り、母が寝たきり、父親も病気になり、両親の介護生活が15年続いた時期がありました。長く続く在宅介護の中で、家族が弱くなる姿を看るというのは、頭でわかっていながら、やはり、なかなか受け入れられず、時に嘆き、腹立たしい思いも抱き、心身ともに悲しくつらい時がありました。

 

そんな介護生活を支えてくれたのが、あの時の母の言葉…「悔いはないよ」でした。いつか、本当に両親と別れる時が来たら、「悔いはない」と言える自分でいよう。

 

終わりの見えない介護生活の幕切れは、いつも突然で、寝返りを打つのも息切れするほど肺の機能が衰えた父の、夜中に鳴った電話の知らせに「あ、やっと父は楽になれる」と瞬間に感じたこと。冷たくなっていく母の胸に寂しさよりも「ありがとう」と言えたこと。

 

言葉通り、両親共に見送るときに悔いがなかった自分の介護経験は、「悔いのない自分の人生の向き合い方」に形を変えて、今でも宝物として残っています。

 

弱くなってしまった両親への向き合い方は、自分との向き合い方。

導いてくれたのは母だったような気がします。